恐怖への特効薬、それは自信(という仮説)
就職をした
私はいま、フルタイムで週5日働いている。
急だが、就職したのだ。
夏に失踪した女が、秋に就職。
退院してすぐ、業界大手の「ホワイト」認定されている会社を自ら探し、応募した。
書類と面接での選考を、運良く通過した。
運良く、最初に応募した企業で働くことになった。
ありがたや。
私は精神障害者手帳を持っていないので、一般枠だ。
いけないことなのだろうが、会社には精神の持病の話はしていない。
身体の持病(重め)の話をし、それを了承して頂いたうえでの採用となった。
なぜ、いきなり就職したかといえば。
理由はただひとつ。
「自分の心身を救うため」だ。
「恐怖」とはなにか
薬もカウンセリングも、私のことは救えなかった。
そうなれば、自分を救うのは自分しかいない。
自らを救うものは何かを考えた結果、導き出された答えが「就職」だった。
就職し、家から離れる習慣を作る。
社会に出て能力を発揮し、他者から求められる人材となることで、自信を取り戻せるのではないか。
自信を取り戻せば、様々な恐怖にも打ち勝てるのではないか。
この夏の入院生活を経て、そう考えた。
今回の入院生活は、静養やリハビリ以上に大きな意味があった。
「解離性障害」と向き合い、自分自身について各方位から冷静に考察するような時間となった。
病室のベッドで、King Gnu「白日」を聴きながら、ずっと考えていた。
"年だけを重ねた その向こう側に 待ち受けるのは天国か地獄か"
"うんざりするよ”
恐怖に呑まれて、部屋から出られなくなる前に、自らを、救わなければならない。
自宅に戻り「圧」を感じた瞬間、そう考えた。
家に篭って見えない恐怖と闘い続け、精神病院への入退院を繰り返す。そんな不毛な人生は嫌なのだ。
時間だけは、ただひたすら流れている。
どうせ潰れるならば。
見える難題にぶち当たり、悩んで努力して敗れた末に潰れたいのだ。
社会生活で取り戻す「自信」
残念ながら、文章を書く仕事ではない。
他のキャリアやスキルを活かしての就職だけれど、文章を書くために蓄えたスキルは非常に役に立っている。
文章は書けないくせに。皮肉で不思議なものだ。
環境が人を作るという言葉は、事実。
身体が覚えるという言葉も、事実。
仕事を前にすると、様々な能力が自然と現れる。
想像以上に自然と能力が現れ、仕事をこなしていく。
日に日に、自信がついていくようで。
私は捨てたもんじゃない。結構やれるじゃないかと。
仕事をすることが、喜びとなっている。
体力的にきつい部分はあれど、充実感が勝る。
朝の支度と出勤途中は、緊張感に溢れているけれど。
帰り道には、安堵と希望と感謝に溢れている。
私の「光について」
「引きこもりからの就職」は大きな賭けだった。
だけれど、いまのところは勝っている。
幻視は消えた。
ネガティブな幻聴は消えた。
睡眠薬がなくても眠気が訪れるようになったし、体力もだいぶ戻った。
ああ、このまま。
長く、「普通」の社会人生活が送れますように。
ああ、このまま。
自然と嫌なことが、忘れられますように。