逆行する認識、焦燥と嘲笑
広がる自己認識の相違
ちょうど一年前は、他人からもわかりやすい形で病んでいた。
いまは、わかりにくい形で病んでいる。
以前のエントリーで書いたように、相変わらず身体は崩れている。
今日も居間で二回倒れた。
身体のあちこちが痛い。
気になっているのが、認識の逆行だ。
眠りから覚めると、まるで時計が巻き戻ったように、自分を過去の自分だと錯覚しているのだ。
21才大学生、時には24才会社員…それぞれの時の自分と思い込んでいる。
この現象の、出現頻度が増している。
錯覚している自分は、必ず大学生以降の自分。
「東京に住んでいて帰省して自宅にいる」という認識で共通している。
必ず、東京で生活していた頃の自分だと錯覚している。
厄介なのは、短い巻き戻し
つい先日、早めに起きて身支度をし、かかりつけ医に行った。
受付で診察券を出すと「予約は〇日ですよ」と言われ、「マジですか。すいません出直します。」なんて答えた。
受付の方が予約表を出してくれたので、受け取って精神科を出た。
予約表に「令和1年」と書いてある。
ここで気付いた、やはり何かがおかしいと。
近くのベンチに座り、考えた。
起床してから病院に到着するまで、おかしなことがいくつかあった。
急いでいたのでスルーしていた、違和感のあれやこれ。
「令和1年」という表記が、違和感の積み重ねにトドメの一撃。
何度も何度も記憶の巻き戻しを経験していくうち、デジャブ感に襲われるようになっている。
(この感じ、以前にも…)と感じ、自分自身がおかしいぞと、すぐに考える。
なんとなく、まず荷物を漁り財布の中を探る。
そこには自衛のために自作した「解離した時用カード」が入っている。
自分の病気や症状、困ったらどうすればよいか、連絡先などが記載してあるカードだ。
それを目にして、まんまと我に返った。
自分が、一瞬で現実に追いついた。しっかりと記憶も持って。
いつものように。
喪失の追体験
認識が現在に追いつくと、毎回まずは安心する。
感じていた違和感や謎が消えたことに対する、安心感だ。
その後、必ずがっかりする。ひどく落胆する。
現実は残酷だからだ。
過去の私が求め続け、努力の末に得たもののほとんどを、現在の私は失っている。
その現実を、改めて毎回突きつけられる。
認識が過去に戻り混乱することよりも、その後に迎える、現実の自分を受け入れる時こそが苦痛だ。時に、絶望にも近い感覚に陥る。
PTSDのフラッシュバックとは、違う苦痛。苦しみ。
自分の悲惨な状況を、再認識させられる。
受け入れたくなくて考えないようにしていたことすら浮き彫りにされて、ありのままを再度受け入れさせられる。
喪失感などの苦痛を与えるために、記憶は逆行しているのか。
現実を受け入れたくないあまり、自分が逆行するのか。
わからない。
なんにせよ、時間は巻き戻らない。すべては錯覚。
いまのところ、必ず意識は現実に戻る。
この「現実認識作業」の繰り返しは、確実に、想像以上に効いていた。
身体に蕁麻疹が出て、次にごっそりと髪が抜けた。
過呼吸を起こすようになった。
幻聴と身体が崩れることは、もはや日常。
この状況を打開するための薬も方法も、恐らく無い。
24時間いつでもどこでも、音楽は気を紛らわせてくれる。
ひと時であっても仮初であっても、それでも十分。
今日も音楽を聴いて、眠れるだけ眠る。